2018/09/03 09:57

2015年の秋、バングラデシュのダッカの中心部でイタリア人が狙われたテロの日、当日昼過ぎにバンコクからの便で到着し、ボナニの中華料理店で隠れるようにしてハイネケンを飲んでいた。最初に周囲がざわつき、アメリカ人が撃たれた、と言う誤情報に始まり、場所はすぐ近くのグルシャンであると言うことが騒がれた。標的はオランダのNGOに勤務するイタリア人。直後にISが「西洋人を殺害した」と言う声明を出した。そしてその翌週、北部のラングプールで日本人男性が射殺され、同様の声明が発表される。無神論者のブロガーが相次いで狙われるなど、内情の悪化を懸念し、1ヶ月も経たないうちに、穏健だったはずのイスラム国家を後にすることとなった。

ダッカを発つ前日、同僚たちに連れられてオフィスの近くのトラディショナルな雑貨屋を訪れた。好きなものを買ってやるよ、と言いながら半ば強制的に選ばれたのは、バングラデシュの伝統衣装。入り口横のベンチに座る一人が、顔をしかめながら呟いた「この国はもっと美しいのに」と言う言葉が今も耳に残り、時折蘇っては心を打つのである。




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「味がある」とは何かを巡る旅 

「味がある」という言葉を、私たちは直感的に受け入れつつも、その意味を問われるときっと答えに窮してしまう。そもそも普段の生活をふと振り返った時に、この言葉を口にするシーンは、決して多いとは言えないことに気がつく。

高性能、高画質のカメラが普及し、綺麗な写真は瞬く間に民主化した。巷に騒がれる「フォトジェニック」は、直感的で一般に理解されやすい「映え」にばかりベクトルが向き、「味がある」とは異なる方向へ向かっているものが多い。例えば、小麦色のコーンに乗っかった表参道のカラフルなアイスクリームや、沈む太陽をバックに観光客の姿を鮮明に映したウユニ塩湖を、私は決して「味がある」と表現しないし、熱狂するほど心は動かない。チューインガムのように味があらかじめ与えられ、噛んで吐き捨てられる、そんな寿命の短い美しさではなく、私たちが本当に心を動かされる「味があるもの」とは、一体何なんだろう。この問いが、素人が衝動的に作ったこのマガジンとショップの原点にある。





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ものではなく、ストーリーへの愛着

京都・河原町丸太町にある誠光社は、イラストレーターのマメイケダ氏による、食に関するイラスト集『味がある。』について、次のように解説している。

「美味しいもの」ではなく、「食べること」そのものに喜びと愛着を持ち、コンビニのパンからタイ料理までをわけへだてなく描くマメさん。「味がある。」というタイトルにはそんな彼女の姿勢がよく表れています。食が情報にまみれ、誰もがグルマンと化した時代、もう一度純粋に食べる喜びを思い出させてくれる。そんな一冊です。

 また、京都大学の伏木亨は『おいしさの構成要素とメカニズム』で、「文化的なおいしさ」を次のように説明する。

文化に合致したおいしさ。人間や民族の文化の上に発展してきた食の歴史と嗜好に合致するものには、安心感が得られる。これが、おいしさとなる。反対に、民族や集団の文化では理解できない味や風味は、忌避される。

「味がある」と口にしてしまうほど心を動かされるものは、その対象と触れ合う行為そのものや、その行為を通して想起される思想、そこに関わる人々によって紡がれたストーリーなのではないかと思うのだ。この場を通して、「思想あるものとそのストーリー」に目を向けて、「味がある」とは何かを探求する実践は、本当に私たちの心を動かすものの所在を探る行為である。